どうも〜。マセリョウジです。
夢を目指して頑張っているときに、お金が無くて断念するって比較的よく聞く話ですよね。
実は、もうお金が無くて夢を諦める時代は終わったのではないか、そう思っています。
自転車屋さんが世界大会に行けない
とある街の自転車屋さんの話です。自転車屋さんと言っても本格的なヤツです。ロードレーサーと言われる車輪の細いアレのお店です。
ご主人は、お店のお客さんを集めて自転車のチームを作るほど熱心でした。当然、そのお子さんも小さい時から自転車の大会に出ていました。そして、小学校高学年の頃、ついに日本一になったのです。
日本一になると、世界大会への切符が手に入ります。
次は、世界大会!のはずが結果的に出場は叶いませんでした。
子どもの夢をお金で諦めさせる辛さ
日本一になったのに世界大会に出られない!
どういうことでしょうか。
世界大会に出られる権利を得たと言っても、トッププロとは違います。交通費から宿泊代に至るまで全ての費用は自己負担です。いろいろ含めると100万円単位でお金がかかる場合もあるそうです。
当時、自転車屋さんは開業したばかりで資金的に厳しかった。つまり、大会に出場するための費用が捻出できず、泣く泣くお子さんには出場を断念してもらいました。
確かに、商売を始めたばかりでこれからという時に、なかなかまとまったお金を用意するのは難しいですよね。
しかし、世界大会に出場できる機会はそうそう無いでしょう。出場すれば、これから競技をする上で得られるものも大きかったと思います。
それをお金が無いという理由で諦めさせるのはご主人も相当辛かったことでしょう。
今でもご主人は心残りだということです。
お金が無くても夢を諦めない方法
では、どうすればよかったのでしょう。
実は、今はお金が無くて夢を諦めることが無くなってくる時代に入りつつあります。
そんなバカな、と言いたくなるでしょうが、事実、そのような時代に入りつつあります。
次のグラフを見てください。

このグラフを見ると日本人は「物の豊かさ」よりも「心の豊かさ」を求めるようになっています。
具体的に言うと、モノを買うより体験の方が価値があるということです。
応援したいは人間の欲求
他人を応援すると言うのもいわゆる「体験」の一つです。
贔屓のスポーツチームや選手、応援しますよね?
そのチームや選手が勝ったから自分に何か金銭的な得があるわけでは無いです。なのに応援する。これは応援すること自体に価値を見出している。他人を応援してその過程や成果を共有することで感動をしているのです。
つまり、他人を応援するというのは人間の欲求であると言えるでしょう。
これをふまえて考えると、前出の自転車屋さんは人々の応援したいと言う欲求をかなえる形で訴求すればよかったのです。
クラウドファンディングで「息子を自転車の世界大会に出場させたい」でも軽く目標金額は集まったと思います。リターンはお礼の手紙程度でも喜んで支払う人は少なくないでしょう。
過程を逐一報告すれば、親しみが湧いて継続的に「ファン」として応援してくれるかもしれません。
もしくは、お店のお客さんに訴求しても良いでしょう。「自転車屋の店主の息子が世界大会に出る」こんなビッグイベント、自転車好きなら参加しないわけにいかないでしょう。
居酒屋で「オレの行きつけの自転車屋の息子が今度世界大会に出るのよ」とかなぜか自慢気に話すのです。立派な心踊る体験です。
ただお金を募るのが心苦しければTシャツや缶バッジなんかを「応援グッズ」として販売しても良いです。
もちろん過程や結果は発信、報告し共有しなければ行けません。
そんなことで金を出す人がいるのか。
いるんですね。見返りがなくても、「夢に参加している」こと自体がお客さんにとっては貴重な体験になり得ます。むしろ、強力な顧客ほどお金をだしたがるし、なんなら「無償で現地まで行って手伝う」まであるでしょう。
夢ならなんでも良いわけではない
以上が、夢をお金で諦めなくて良い理由です。
しかし、夢ならなんでも良い、と言うわけではありません。
例えば、大学受験の塾代と入学金払って欲しいと言ってもあまり払う人はいないでしょう。
あまり共感を得られないからですね。
人の共感を得る夢
人々が応援したくなる夢、というのは共感を得られる夢である方が応援されやすいです。
大学受験は「勝手にすれば」って感じでしょうが、自転車の世界大会は自分たちが成し遂げられないことを不断の努力で成し遂げようとしていることに人々は共感します。
こうした、夢を語るプレゼン力や巻き込み力も人々の応援を得る重要な要素になりますね。
まとめ
お金のために夢を諦める時代は終わりつつあります。
なぜなら人々は「誰かを応援したい」という欲求を持っているからです。
しかし、夢ならなんでも良いというわけではありません。人々が共感し、応援したくなる夢、それは個人的であるとか公共性があるとか規模の大小は関係ありません。
夢の共有という心躍る体験に人々はお金を出したがっています。
それが理解できていれば自転車屋さんもまた違った未来があったかもしれませんね。