どうも〜。マセリョウジです。
今回は、積み上げることの怖さについて話します。
マセリョウジ:大学受験の時に3浪し新卒でブラック企業に入り、心身をすり減らして退職しました。その後転職を数回してから独立起業し、現在は小さな会社を黒字経営しております。
そう聞くと、積み上げるのが怖い?積み上げる方がなにもないよりいいに決まってるでしょ。と思うかもしれません。ところが積み上げた方が人生不自由になるかもということもあり得るんですね。
まず、社会に出た時には多くの人はなにも持っていない状態です。
その後、就職し、お金を稼ぎ、会社で出世などします。また、プライベートでは結婚もするかもしれません。子供も設け、マイホームをローンで購入します。
こうしてなにもないところから着々と積み上げていきます。
最初はふわふわと浮き草のようだったのに、社会的な地位や家族、住まいなどを構築し、しっかりと根を下ろして”ちゃんと”生活しているんですね。
積み上げることの安心感
このように積み上げることで、当然ながら生活のベースができ、まるで石垣の上にお城が建つように自分の人生がガッチリと構築されるわけです。
これってすごい安心感ですよね。
結婚している、子供がいて、家もあり、仕事でも出世して地位を確立した。
一般的に良しとされていることを揃えて、どこへ出ても恥ずかしくないと思えます。世間的な対面もバッチリです。
積み上げたものが自分を縛ってくる
しかし、いつの間にかこう思うようになります。
「あれ?これって不自由じゃない?」
そうですね。週5日仕事をしっかりこなし会社での立場を守り、家では育児に家事、近所づきあいもそつなくこなし、気づけば若くない年になっていた。
自分の人生これでいいんだっけ?
そう思ったとしても、一度敷かれたレールから降りることはできないわけです。
なぜなら、仕事を辞めたら生活はどうなる?旅に出ると言っても子供はどうする?どこか移住するって言ってもローン残ってるし、そもそも子供転校させるの?などなどいつのまにか身動きが取れない状態になっているのです。
人生コツコツ積み上げてきて盤石にしてきたはずなのに、築いた城をひたすら守る人になっていたということですね。
ただただ城を守るために日々を過ごしている、幸せになるために築いた城が自分を縛るものになっていたという皮肉なことになっています。
なにも持っていない方が自由はあった
そう考えると、あまり持っていない方が、どこへでもいける、なんでもできる。自由を持っているような気がします。
築いたのが城ではなく小屋くらいだったら、抵抗なく離れてまた新しいところに小屋を建てて過ごせばいいですからね。
僕自身、独身でまだなにものでもなかった頃の方が、貧乏で能力もなかったけど、自由はあったなあと思います。実際、仕事辞めてしばらくブラブラしてニート生活を楽しんでました。
だから僕はブログを書く
僕も結婚し、子供を持ち、家をローンで建て、休みなく仕事をしています。
まさに、自分の築いた人生の城を守るために仕事をしているような気分になります。
時々、「一年くらいキャンピングカーで日本を周りてえなあ」とか「南の島で海を見ながらぼーっとしばらく過ごしたいなあ」なんて思います。
こう言うと、
「仕事もあって家族もいて家もあってなにをわがまま言ってるんだ」
「無い物ねだりだ!」
と言われるかもしれません。
僕も、自分が不幸だと言うつもりは毛頭なく、日々幸せだなあと思うことは多々あります。家族も愛していますし、建てた家も満足しています。
ただ、そう思ってしまうんだからしょうがないですね。
同じ閉塞感を感じている人は多いんじゃないかなと思います。
だから、僕はブログを書くことにしました。
その先になにがあるかわかりませんが、ブログに考えを吐き出すことで整理されて、違ったものが見えてくるような気がしています。
今日ここで自分が生きていて、なにを考えどう生きたか、形になるものとして残しておくのもいいんではないでしょうか。
自分の人生ですから主導権は自分で握っていきたいものですね。
それではまた〜。